東京都 I・S
「名草戸畔(ナグサトベ)」って何のことなのか、あまりそういうことは考えず、ドンチャン騒ぎをしに行くつもりで参加の意思を事務局に伝えたところ、「是非、古代史の本を読んできてくださいね。更に深く入りますよ」とのメッセージ。歴史アレルギーの私は、ストレスを感じながらも、池袋の某大型書店へと足を運んだ。
ところが、書店のパソコン検索で"ナグサトベ"と入力しても全然出てこない。「なんでだろう?」と思って家に帰ってなかひらさんのサイトを調べてみたところ、どうやら書店には置いてなく、ネット販売と郵便局での払込手続きしか受け付けてないようだった。しかしスクロールダウンしてみると、取扱書店のボタンがあったのでクリックしてみたところ、購入できるお店が都内で2箇所だけあるとのこと。それを知って西荻窪のちょっとマイナーな感じのする本屋に行って無事書籍をゲットすることができた。買うだけでこれだけの時間と労力を使ったことに少しイラダチを覚えながら本を読み始めると、やはり読めない漢字、意味が分かりづらい言葉、理解しづらい洞察、随所に古文や漢文も・・・。最初の50ページを読むのにどれだけ時間がかかったことか。集中して読んでいたつもりが、いつの間にか集中力を失って気づいたら全く違うことを考えていたという現象が何度あったことか。
そうこうしているうちに講演日3日前となった。疑問点について考えている時間も無かったので、当日質問できるようにメモを書いた付箋をあちこちに貼っておいた。あまり考えすぎないように、「まぁ、いいっかぁ」みたいに読み飛ばしたところもあったけど、なんとか講演日前日に完読することができた。本の入手から完読するまでにあまりに時間と労力を要し、「お腹の調子を崩すのではないか」との不安も生じてきたほどだったので、講演会の質疑応答のときに文句を言ってやろうと心に決めた(我ながら大人げないと思ったが・・・)。
南海和歌山市駅から車で15分くらいの和歌山市中央コミュニティセンターという場所で講演会は行われた。そしていよいよ「なかひらまいさん」が壇上に立った。インテリジェンスなメガネにショートヘア。歴史の勉強に明け暮れた毎日を過ごしてきたような真面目そうな印象。講演会は今回が初めてとのことで、始めから終わりまで一生懸命が伝わってくる。そんな彼女の姿を見て、「この場で自分の歴史アレルギーを八つ当たりするのはやめよう」と思った。進行役を務めた西本先生ご自身のスピーチは今まで何度も見てきたが、何度見ても笑える。テレビに出てくる下手なお笑い芸人よりも全然面白くて、とても医者とは思えない漫画みたいな人である。
なかひらさんの生の声を聴いたことによって、書籍の内容に関する疑問のいくつかは解消された。しかし、どうしても聞いておきたい質問が残っており、懇親会でのチャンスを待つことにした。
ホリスティックネットワークの飲み会における各参加者の座る位置は、いつもくじ引きによって決められる。運が良いのか悪いのか、私はいつも真ん中に座っている講師の方と西本先生の真正面か斜め向かいの位置を引き当ててしまう。そして、今回も西本先生の真向いであり、なかひらさんの斜め向いの席を引き当てた(苦笑)。
ビールと食事を楽しみながら、西本先生から今回の講演会の舞台裏の話を聞き、ある程度お腹が一杯になったところで、私が口火を切った。「私の教養不足もあるかもしれないですけど、この本(名草戸畔)は難しい言葉や漢字が多くて読みにくかったです。読むのに一週間丸々かかりました。自分は歴史が大の苦手なので仕方ないと言えば仕方ないんですが・・・・」と率直に感想を話したところ、なかひらさんは「こういった内容のものを読み易い本にしてしまうと、その程度のものなのかと軽く見られて、長い歴史の中で伝承されてきたことが単なるフィクションとして受け入れられてしまうので、あえて難しい書き方にしたのです。本当に申し訳ありません。でも一週間で読み終えたのは早い方ですよ。普通大体みんな1ヶ月かかったと言われます」と丁寧に答えてくれた。要は名草地区で先祖代々語り継がれてきた伝承について、尊厳を失わない形で世の人に伝えたい、と言うことであろうか。名草戸畔(ナグサトベ)は名草地区の人にとって誇りであり、伝説的英雄とも言えるのだろう。そう言った地元民達が代々守り続けてきた宝のようなものを、なかひらさんは最良の形で書籍にしたのである。
各人の自己紹介と「講演会の場では訊けないような質問」をしてくださいとのこと。私は待ってましたと言わんばかりに自分の順番が回って来るのを楽しみにしていた。殆ど質問が出ずに自己紹介だけが続く中で、あっという間に自分の番が回って来た。自分の自己紹介を簡単に済ませた後、本を買うために大変時間を要したことを話し、「どうして普通の本屋に置こうとしないんですか?」ということを質問した。それに対してなかひらさんは、「大手の出版会社から本屋に置いてもらおうとすると、自分の言いたいことが言えなくなるからです」との返答だった。そのことに私は最初意味が理解できず、「そんなの言論の自由が認められているんだから別に大して問題ないじゃないですか」と反論。そしたら端の方に座っていた九州から来ていたTさんに一笑された。その後、なかひらさんが丁寧な口調でこう説明してくれた。「大きな出版会社から本を売ろうとすると、流通していく過程であちこちから修正の要求が来るんです。そうなると本来自分が言いたかったことが伝えられなくなってしまうのです」、その後、詳細な説明をしてもらったが、話の主旨はそういうことだった。私はその話を聞いて、ライターとしての彼女をすごく信頼できるようになった。音楽業界に例えると、大手レコード会社からの要求を嫌ったソングライターやミュージシャンが自主レーベルからCDを発売するといったところだろうか。それまで彼女に対して抱いていた疑念は一変した。「そういう流通事情があったんですね。全く知らなかったです。だったらそうするのが一番正しいやり方だと私も思います。良く分かりました」と言って私は納得できた。時間かけて購入しただけの価値が十分に感じられる貴重な書籍だと今になって思う。
もう一つ、伝承の内容とは殆ど関係のない部分についての質問をした。「本の顛末記のところで、"強化ガラスでできたデスクのテーブルの部分が粉々に砕け散り、床に散乱した、(中略)仕事場で飼っている猫が血尿を出した、(中略)割れたデスクの写真を見たMさんが青ざめてナグサトベの霊を感じた、(中略)ナグサトベの取材とスプーの日記(なかひらさんの代表作の一つ)の仕事以外すべて立ち消えた"などと奇妙な出来事が立て続けに起こったようですが、特にデスクの破損と猫の血尿事件は、その後真相が分かったのでしょうか?」と聞いた。返事はただ一言。「いまだに分からないです」私はあまり霊感が強くないし、霊の存在を100%信じているワケではないが、もしかしたらナグサトベがなかひらさんの周辺を彷徨っていて、「今は名草戸畔伝承の取材と執筆に集中せよ」とはっぱをかけていたのかもしれない。もっと言えばナグサトベの取材と執筆は、なかひらさんに与えられた天命とも言えるであろう。昨年2月に会社を辞めてからいまだに"天命"が降りてこない私にとっては何とも羨ましい話である(苦笑)。名草戸畔(ナグサトベ)の出版でなかひらさんが億万長者になったとは思えないが、金の問題ではない。"天職"、"ミッション"、"生きがい"、"神のお告げ"、そういった言葉が全て当てはまっている。