天川村散策の旅

9月に襲った、台風12号の影響のため、弥山登山口へ向かう自動車道は通行止めとなり、今回の弥山登拝は断念することになりました。しかし、天河神社に参拝したい気持ちと、なんとか天川村を応援したい気持ちを形にしたいと検討した結果、天河神社の正式参拝と奉納演奏、そして天川村の散策の旅に急遽変更して実施することになりました。

1日目午前中は、洞川の龍泉寺をお参りし、その後、面不動鍾乳洞の探検及びボイスヒーリング。午後は天河弁財天社で正式参拝と奉納演奏しました。

そして、2日目はみたらい渓谷と観音峰のハイキングを楽しみました。

旅館の女将さんが、「台風のあとお客さんが少なくなって、皆さんが来てくださってうれしい」と言ってくださいました。

今年は、皆さんで弥山に登ることを楽しみにしています。


感想:

H・Mさん

2日間の全体的な印象は、参加されていた皆様、いった場所、天候、すべてが「さわやか」でした。ワークでは、声を出すことで、開放感が得られ、皆様と共に過ごせたという一体感と、限りない幸福感が体に満ちたように思います。奉納演奏も皆様の真心が心に沁みました。2日間で、身も心も魂も清く洗われた気がします。すばらしかったです。

突然、直感で参加を表明したのにもかかわらず、皆様あたたかく受け入れて下さり、本当にありがとうございます。ホリスティック医療等についてもこれから勉強していきます。今後ともよろしくお願いいたします。


ご挨拶

西本クリニック院長 西本 真司

いよいよ新年度、龍年、大きく飛翔するエネルギー一杯に、理想の医療の形へのビジョンをしっかり持って突き進んでいきたいと思っています。

私の父方の祖父(西本和平)は、龍神村の近くの南紀の山奥で生まれました。幼い頃から、この地図の龍神という地名にとてもひかれる心をもっていまし た。龍という存在は、十二支にありながら、この三次元には、存在せず、神の世界とこの世をつなぐ役割をはたしているといわれています。

昨年、東日本大震災の慰問にブータンの国王が、日本を訪問してくれて、国会の演説から、東北の方々の励ましまで勇気と元気のエネルギーを日本にもっ てきてくれました。東北の子供達に「心の中に龍を育てましょう。そして、しっかりと制御し乗りこなしましょう。」とアドバイスを行っていました。ブータン と龍との関係があるのではとインターネットで調べてみるとブータンとは「雷龍の国」と呼ばれていて、国旗には、細かい鱗いっぱいの龍の絵が描かれていま す。色は黄色とオレンジ色で、この色はインドのチャクラでは、第二、第三の部分を示す部分を表しています。中国医学でいうと下丹田の気海と鳩尾とお臍の中 間部であるチュウカンというツボにあたりの色が黄色とオレンジです。つまり、臍中心の部分に龍がいることを国旗が暗示しているようにみえます。

私自身の直感として、ブータン王国の「龍を育てて下さい」とは、「自律神経を育てて下さい」といっているように感じました。自律神経は、無意識に私 達を支えてくれ、睡眠時の無意識の時も、24時間体制で我々の身体を支え制御してくれています。高1の時の生物の先生で、恩師であった米田先生が、自律訓 練法を、私クラスメートに伝授してくれました。その中で、ずっと継続して、それを意識して実践してきたメンバー3名が、医師(麻酔科医、心臓外科医2名) となっていることは、何が深い意味をもっている気がします。西洋医学的には、制御ができないといわれている、自律神経を、もし制御できれば、自分の目標と する職業につけたり、難病を克服したり、最終的に自己実現につなげることができるはずです。自律神経のメッセージは龍のメッセージと解釈してもいいのでは と感じています。


名草戸畔講演会に参加して

愛知県 K・A

「名草戸畔」という本を友人から勧められた。最初小さな文字で少し読み応えがあるこの本をいつものように…つん読になっていたのを友人がノートにまとめとにかく面白がりながら話しているのを見てちょっと悔しくなりぱらぱらっとめくってみた。

そこに数年前ある人をお連れしたことがある「与那国島」の女酋長「サンアイイソバ」の文字を見つけなんか親近感を覚えて読みだした。

これが読みやすく…作者のお話の持って行き方に回りくどいところも何にもなくとてもすべてに正直に書かれていることに感動し…。あっという間に読み終えてしまった。少し前に深田剛史さんの「数霊 日之本開闢」が仲間内でブームになったがその中にも出てくるニギハヤヒさんやナガスネヒコさんも登場する。同じような切り口でその土地に残る口伝に忠実に書かれている。内容は古代紀国の女王伝説である。物語は真実を調べ伝えることで名草戸畔の供養をしてもらえないかという依頼からスタートする。古代史ファンならぜひ読んでもらいたい本の中の一冊だと思う。

今回その著者のなかひらまいさんの講演に出かけた。場所は和歌山。その名草戸畔が生きて死んだ場所である。講演会の会場には100名近くの人が集まって賑わっていた。その中にはその名草地方の方々も多く、歴史の教科書には出てこないそれでも確かに存在するその地方の史実をしっかり握った方々が多かったように感じる。

講演を聞きながら書き込んでいたノートにホピの村でも大いに感じた「変わっていくものと変わらずに在るもの」というキーワードを思わず書き込んでいた。変化していくものの中に存在する変わらずに伝え送られていくもの。いつか必ずどこかの時代できっと必要な想いであるんだろう。

和歌山のその場所のその講演会はそんな想いでにぎわっていたように感じる。きっとなかひらさんがこの本を書くことによって成就した想いも…そして、次につながっていく想いもあるんだろうと思う。日本の中にも…世界の各地にも…そんな風にさわられずにひっそり残る沢山の想いが存在しているはず。この時代に生を受けて何かを残していけるとしたら…何なんだろう。「生きる」ということはそんな何かをひろいあげてそして残していけるチャンスに恵まれていることなんだろうとも思う。