柴田先生講演会に参加して

B・K

今回初めて、柴田先生のお会いさせていただきましたが、一目見て先生の屈託のない優しい笑顔の虜になりました。そして、先生の宮崎弁が何とものどかな穏やかな気持ちにさせてくださいます。

先生はまず、『医者』とは「学者」であり「教育者」であり「役者」であり「芸者」であり「易者」でなければならないと語ってくれました。学者や教育者であることはもちろん、患者さんに合わせて、怒ったり泣いたり、また太鼓持ちになって持ち上げたり、一緒によろこんだり、励ましたり…。そんな話を聞いていると宮沢賢治の「雨にも負けず」の

「東に病気の子供あれば、行って看病してやり」
「西に疲れた母あれば、行ってその稲の朿を負い」
「南に死にそうな人あれば、行って怖がらなくてもいいと言い」

そんな詩の一節を見ているようでした。

そして、先生は「医師は患者さんによって成長する」と話します。

先生の提唱「LOVE」とは、「L」は「Listen」傾聴の大切さを。「O」は[OverView]。「V」は「Voice」言葉が生きる源になることを。「E」は「Excuse」許しを意味しているとのことです。

私もコメディカルの一員として、医療現場で対象者に向ける「愛」をどう表現すればいいんだろうということを思っていましたが、先生の言葉に救われたような気がします。

先生が笑顔で「陽気は美徳」といった言葉に、先生は病気を見てるのではなく人を見ているから、いつも笑顔でいることを大切にしていて、だから先生の笑顔を楽しみ待っている患者さんが沢山いるのだろうななどと思い、自分もまたそんな存在になりたいと思いました。

今日、先生に出会えましたことは、本当に感謝としか言いようがありません。ありがとうございました。


天川村散策の旅

9月に襲った、台風12号の影響のため、弥山登山口へ向かう自動車道は通行止めとなり、今回の弥山登拝は断念することになりました。しかし、天河神社に参拝したい気持ちと、なんとか天川村を応援したい気持ちを形にしたいと検討した結果、天河神社の正式参拝と奉納演奏、そして天川村の散策の旅に急遽変更して実施することになりました。

1日目午前中は、洞川の龍泉寺をお参りし、その後、面不動鍾乳洞の探検及びボイスヒーリング。午後は天河弁財天社で正式参拝と奉納演奏しました。

そして、2日目はみたらい渓谷と観音峰のハイキングを楽しみました。

旅館の女将さんが、「台風のあとお客さんが少なくなって、皆さんが来てくださってうれしい」と言ってくださいました。

今年は、皆さんで弥山に登ることを楽しみにしています。


感想:

H・Mさん

2日間の全体的な印象は、参加されていた皆様、いった場所、天候、すべてが「さわやか」でした。ワークでは、声を出すことで、開放感が得られ、皆様と共に過ごせたという一体感と、限りない幸福感が体に満ちたように思います。奉納演奏も皆様の真心が心に沁みました。2日間で、身も心も魂も清く洗われた気がします。すばらしかったです。

突然、直感で参加を表明したのにもかかわらず、皆様あたたかく受け入れて下さり、本当にありがとうございます。ホリスティック医療等についてもこれから勉強していきます。今後ともよろしくお願いいたします。


名草戸畔講演会に参加して

愛知県 K・A

「名草戸畔」という本を友人から勧められた。最初小さな文字で少し読み応えがあるこの本をいつものように…つん読になっていたのを友人がノートにまとめとにかく面白がりながら話しているのを見てちょっと悔しくなりぱらぱらっとめくってみた。

そこに数年前ある人をお連れしたことがある「与那国島」の女酋長「サンアイイソバ」の文字を見つけなんか親近感を覚えて読みだした。

これが読みやすく…作者のお話の持って行き方に回りくどいところも何にもなくとてもすべてに正直に書かれていることに感動し…。あっという間に読み終えてしまった。少し前に深田剛史さんの「数霊 日之本開闢」が仲間内でブームになったがその中にも出てくるニギハヤヒさんやナガスネヒコさんも登場する。同じような切り口でその土地に残る口伝に忠実に書かれている。内容は古代紀国の女王伝説である。物語は真実を調べ伝えることで名草戸畔の供養をしてもらえないかという依頼からスタートする。古代史ファンならぜひ読んでもらいたい本の中の一冊だと思う。

今回その著者のなかひらまいさんの講演に出かけた。場所は和歌山。その名草戸畔が生きて死んだ場所である。講演会の会場には100名近くの人が集まって賑わっていた。その中にはその名草地方の方々も多く、歴史の教科書には出てこないそれでも確かに存在するその地方の史実をしっかり握った方々が多かったように感じる。

講演を聞きながら書き込んでいたノートにホピの村でも大いに感じた「変わっていくものと変わらずに在るもの」というキーワードを思わず書き込んでいた。変化していくものの中に存在する変わらずに伝え送られていくもの。いつか必ずどこかの時代できっと必要な想いであるんだろう。

和歌山のその場所のその講演会はそんな想いでにぎわっていたように感じる。きっとなかひらさんがこの本を書くことによって成就した想いも…そして、次につながっていく想いもあるんだろうと思う。日本の中にも…世界の各地にも…そんな風にさわられずにひっそり残る沢山の想いが存在しているはず。この時代に生を受けて何かを残していけるとしたら…何なんだろう。「生きる」ということはそんな何かをひろいあげてそして残していけるチャンスに恵まれていることなんだろうとも思う。