愛知県 K・A
「名草戸畔」という本を友人から勧められた。最初小さな文字で少し読み応えがあるこの本をいつものように…つん読になっていたのを友人がノートにまとめとにかく面白がりながら話しているのを見てちょっと悔しくなりぱらぱらっとめくってみた。
そこに数年前ある人をお連れしたことがある「与那国島」の女酋長「サンアイイソバ」の文字を見つけなんか親近感を覚えて読みだした。
これが読みやすく…作者のお話の持って行き方に回りくどいところも何にもなくとてもすべてに正直に書かれていることに感動し…。あっという間に読み終えてしまった。少し前に深田剛史さんの「数霊 日之本開闢」が仲間内でブームになったがその中にも出てくるニギハヤヒさんやナガスネヒコさんも登場する。同じような切り口でその土地に残る口伝に忠実に書かれている。内容は古代紀国の女王伝説である。物語は真実を調べ伝えることで名草戸畔の供養をしてもらえないかという依頼からスタートする。古代史ファンならぜひ読んでもらいたい本の中の一冊だと思う。
今回その著者のなかひらまいさんの講演に出かけた。場所は和歌山。その名草戸畔が生きて死んだ場所である。講演会の会場には100名近くの人が集まって賑わっていた。その中にはその名草地方の方々も多く、歴史の教科書には出てこないそれでも確かに存在するその地方の史実をしっかり握った方々が多かったように感じる。
講演を聞きながら書き込んでいたノートにホピの村でも大いに感じた「変わっていくものと変わらずに在るもの」というキーワードを思わず書き込んでいた。変化していくものの中に存在する変わらずに伝え送られていくもの。いつか必ずどこかの時代できっと必要な想いであるんだろう。
和歌山のその場所のその講演会はそんな想いでにぎわっていたように感じる。きっとなかひらさんがこの本を書くことによって成就した想いも…そして、次につながっていく想いもあるんだろうと思う。日本の中にも…世界の各地にも…そんな風にさわられずにひっそり残る沢山の想いが存在しているはず。この時代に生を受けて何かを残していけるとしたら…何なんだろう。「生きる」ということはそんな何かをひろいあげてそして残していけるチャンスに恵まれていることなんだろうとも思う。